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桜がつなげるもの

先週、出勤しようと玄関のドアを開けたら、桜の花びらが1枚だけ落ちていました。どこから舞い込んだのかなと不思議に思っていたんですが、どうやら私が持ち帰ったもののようです。そういえば前日に、嵐のような風で桜吹雪が舞い散る中を、並木道の下に広がったピンクのじゅうたんを踏みしめながら帰ってきたのを思い出しました。さすが日本人、この季節は桜と絡むという行動がDNAに標準装備されてるようです。ただ、若いころは「桜の季節」となると、花見だの、宴会だのと浮かれていましたが、ここ何年かは私にとって亡くなった祖母を思い出す機会となっています。数年前のちょうど桜が満開の時期に逝ってしまいましたが、小さい頃から苦労を重ねて我慢の人生を送ってきたおばあちゃんが、満開の桜に迎えられて天国に行ったことは、きっと神様が最期に与えてくれたその人生への称賛だったのかもしれないとたびたび思います。でも、私と言えば、他のいとこにくらべても本当にロクでもない孫で、あんなに大事にしてくれたのに、忙しさにかまけて病院にもあまり顔を出さず、亡くなった後もほとんど墓参りに行かず、いまだにダメな孫を現在進行形で続けています。不精をしているワケではないんですが、やっぱり大きな後悔と向き合うのがコワくて、自分がほとほとイヤになるときがあります。だからこそ、そんな臆病な私を見て、満開の桜を見るたびに祖母を思い出し、生きてきたとき以上につながろうとする機会を、こうやって神様が与えてくれているのかもしれませんね。玄関の桜の花びらは、さしずめ天国からのあいさつ状といったところでしょうか。これからも、この季節になるたびに優しかった祖母と自分をつなげていく時間をつくり続けていけたらと思います。