大阪アッフェ情報
先日、私の最も愛すべき場所であったバッティングセンターが閉店しまして、今も真っ暗なバッセンの横を通るたびに胸がチクチクと痛くなります。その上、同じ時期に実家も引っ越しがありまして、長年愛着のあった場所が次々になくなってしまって、寂しいというか、拠り所がなくなるというか、そんな気持ちになりました。膝がっくり、心がポッキリ、胸がぽっかり、腹の底がスカスカになる、そんな心細い気分ですかね。こんなにショボくれた2ヶ月はなかったですが、それに加えてえげつないくらい仕事が忙しくなって、きっちり悲しむ時間もない。なんと理不尽な。イライラとモヤモヤとショボショボと、そんな全部終わった気持ちで実家の引越し先(すなわちシン・実家)に行ったらですね、なんかオトンもオカンも新しい生活を楽しんでいるんですよ。「ちょっと不便になったけど、前が便利すぎたからね」とか「ここは集会所で体操教室や文化教室があって行ってみようかな♪」とか。あれ?なんか感傷的になってるのは自分だけか、と拍子抜けしました。でも、少しウキウキしている両親を見ていたら、私も気持ちが楽になったというか、これでよかったなと思えますね。古いものを捨てたら、そこに新しい何かが入ってくる、そういうことなのでしょう。前の実家には小さい頃からの思い出もあって、あそこに戻れないのは寂しいのですが、結局自分が帰る場所はオトンとオカンの居る場所なので、それがどこになろうと変わらない気がしてきました。あんなことがあった、こんなことがあったと話すのもその人たち。思い出も愛着も全部、その人たちのところにあるんだなと思います。結局、帰るところは「場所」ではなく「人」なのでしょう。そう思えばうちのチームも、そうやっていつでも帰ってこれる優しくてあたたかい場所、つまりそういう「人たち」であり続けたいですね。人は、人のところに帰るんですよ。そのことを忘れずに。
2023年10月30日 23:22 |
カテゴリー:逸球入魂コラム
私は働き始める前、社会人になったら上司にちょっと高級な小料理屋に連れて行ってもらって、きっと自分もそこの常連になって、仕事帰りに寄っては真野あずさみたいな女将さんにあれこれグチとか聞いてもらったりするんだろうかと、ちょっとそんな大人の世界に淡い憧れがあったんです。でも、その憧れの場所は、私にとってこのバッティングセンターになりました。ガッツリ常連になってから23年くらいですかね、本当にずっと通ってました。まあ、「野球の練習」ということもあったんですが、妙にウマの合う店長のおっちゃんや奥さんにグチを聞いてもらったり、つまらない世間話をしたり、どちらかというとそれが楽しかったんだと思います。私がシンドイときも、チームがシンドイときも、仕事で失敗したときも、ずっと何気ない話をしてそっと寄り添ってくれた場所ですね。帰り道にこのバッセンの電気がついていて、カーンという打撃音が聞こえるだけで、なんかホッとした気持ちになったもんです。そして、この生活は何の疑いもなくずっと続くものだと思っていました。でもそれが、今月末でお店を閉めることになりました。いろんなことを考えての決断で、それは納得できるのですが、自分にとっては第二の実家みたいな場所だったので寂しくてたまらない。大事な人たちがずっとそこにいてくれるわけでもないし、大切な場所がいつまでもそこにあるとは限らない。いつかくることだとわかっていても、簡単に受け入れられることでもなくて、とても悲しいです。何かできることはないかと聞いても、気持ちだけで嬉しいからと言われるだけで、なにかこう、そっと静かに終わりを待ち受けるのがいいことなのでしょう。私は本当にこの場所が大好きで大好きで、このバッセンの一番のファンだったと思います。おっちゃんとおばちゃんには、ずっと支えてくれて本当にありがとうしかない。みんなもきっと同じ気持ちだと思う。たくさんの人の心の拠り所になった場所が消えていくのに、また何もなかったかように過ぎていく毎日が悔しくて悲しくて寂しくてたまらないです。なんだろうなあ…。今はこの気持ちをどう書いていいのか全然わからんなぁ…。神様、これ以上もう自分から大切なものを取らないでほしい、それだけです。
2023年9月18日 23:10 |
カテゴリー:逸球入魂コラム
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